ピースボートで世界一周旅行をしたときの話


もう10年も前のことなのですが、大学2年生の時にピースボートクルーズに参加して世界一周旅行をしました。
振り返りもかねてちょっと当時のことを記録しておこうと思います。

ピースボートクルーズとの出会い

ピースボートクルーズとは、NGOピースボートが主催する世界一周クルーズです。旅行代理店のジャパングレイスが旅行を企画しています。
うちの家は、お年玉など子供が得るお金すべてを20歳まで貯金するというルールがありました。

「留学や勉強のため、成人した時に自由に使えるお金が手元にあるように」という祖父の言いつけです。

最終的に120万円くらい貯まり、そのお金を使ってこのクルーズに参加しました。私がまだ小さい頃は金利が高く「預ければ預けるほどお金が増えた……」と母は当時を振り返っていました。

左がピースボート

参加資金は128万円

クルーズに参加するための必要最低資金は128万円。ドミトリー4人部屋に入れて、3食ご飯が保証されています。いえ、実は船内にレストランは2つあったので、本気で食べようと思えば1日6食にできました。最初の方はみんな食事量を気にしますが、3ヶ月船の上で過ごして海外を旅していると開放的な気持ちになり、たくさん食べてどんどん肥えていきます。私も船を降りる頃には顔がパンパンになってました。

お船のレストランその1。夜は居酒屋として営業

貯金の使い先として、最有力候補は最初バイクでした。当時、『疾風伝説 特攻の拓』にハマっていて、祖父の願いには応えず免許取得とバイク購入に貯金を注ぎ込もう思ってました。

海外にも興味がなくて、英語も全然勉強していなかったし海外旅行もしたことがありませんでした。しかし、渋谷のスタバでコーヒーを飲んでいるときに、偶然ピースボートの展示を見つけ、「これにお金を使おう」とひらめいて乗船を決めました。

魔法のカード

ドル・ユーロを現金で20-30万円分くらい持って船に乗ったのですが、母にクレジットカードも渡されました。「クレジットカードはお金が出てくる魔法のカード」だと認識していました。海外にいながらATMでお金がおろせる、と。世間知らずのバカ大学生です。

ピースボートに乗船した同年代には私みたいな能天気なアホが多く、毎日海を眺め、ご飯を食べ、寄港地で遊びまわるという楽しい日々を過ごしました。ひますぎて、当時乗船していた小学生と一緒に「大人とは何か」について考察したりしていました。

友達の部屋「5074室の屋訓」。うちの部屋は442号室でした。

船に乗る前の準備

ピースボートに乗ることを決めてから、「船に乗る前に最寄りのピースボートセンターで友達を作った方がいい」と母に言われました。ピースボートセンターとは、横浜や高田馬場にあるピースボートの事務所です。クルーズに参加する人たちは、みんな旅行前にちゃんとこういう準備をしてたみたいです。また、ピースボートのポスターを居酒屋などに貼ると1枚あたり1000円の割引を受けられるため、コツコツとポスターを貼って、旅行資金を全てまかなう人もいました。

事前にアルバイトしたり友達を作ることはとても重要です。しかし、私は一度顔を出して、それから二度といくことはありませんでした。理由はニックネームをつけられるのがこわかったからです。ピースボートに乗るとみんな何かしらのニックネームをつけられます。美容師の方はシャンプー竹田さんはバンブーなど。私は「佐藤」なのでシュガーとか言われそうだと恐れていました。乗船してからも呼び名には本名を貫きました。

20カ国を103日でまわるクルーズ

横浜の大桟橋から出発して、アジア、ヨーロッパ、アメリカ…20カ国を回りました。この旅行に行くまで海外に全然興味がなかったのですが、クルーズに参加後は旅行が大好きになってしまいました。もともと新しいもの好きだったので、空気も匂いもまったく違う異国の地を旅することは、本当に楽しくてどハマりしてしまいました。今の自分の生き方にも大きく影響を与えていると思います。

船の上から、イルカ、かめ、クジラなどが見えました

出会った人たち

参加当時私は19歳で、船の上で20歳の誕生日を迎えました。船に乗船していた人たちは合計1,000人で10代から60代まで様々。同じ部屋のルームメイト達も、佐賀・大阪・沖縄出身と多様で、しかも性格も良くて本当に楽しい3ヶ月を過ごしました。それまで自分の周りの友達はほとんど関東出身だったので方言を聞くのも新鮮でした。

チームアダルト

仕事を一旦お休みしてクルーズに参加した20代後半から30代の大人達は、当時の自分からしたら憧れのお兄さんお姉さん達でした。イラストレーターや歯医者さん、看護師さん、画家など本当にいろんな職業の人がいて、みんな優しくて良い人でした。彼らのことを、親しみを込めて「チームアダルト」と呼んでいたのですが、いつの間にか彼らの年齢を追い越してしまいました。

タトゥーの女の子

タトゥーを入れている人もたくさんいました。私立の女子校育ちだった私は、そういう人たちと触れ合う機会がなかったので色々刺激を受けました。「●●ちゃんが入れてるから、私もタトゥーいれる!」と心に決め、下船して数年後にタトゥーを入れました。温泉やプールに入るときはテーピングしないといけないので面倒だし、母はショックでふらついていましたが、色々と思い出深いタトゥーです。

英語教室の生徒たち

船に乗っている間は、とにかく時間を持て余しています。103日間のうち、半分以上は船の上なので、朝から夜まで様々なイベントが開催されていました。絵が得意な人は絵画教室、社交ダンスサークル、ラジオ体操、よさこい、小倉祇園太鼓…など。私は、英語が苦手なルームメイトのために英語の文法教室をはじめました。当時、中学生の集団塾で英語の先生をしていたので、まあ、それがちょっとでも役立てばいいかな、くらいの気持ちで始めました。

しかし、意外にも人が集まり、最終的には40人くらいのクラスになりました。しかも平均年齢が高く50-80代の生徒が中心でした。何回教えても忘れちゃうおじいちゃんとかいて、けっこう楽しかったです。

寄港地

旅した国々は合計確か20か国。それぞれの国に1〜3日しか滞在しません。

香港

初めての海外、香港!日本から出たことがなかったので、「これが外国か〜」と思いながら街をまわりました。ロープウェイみたいなのに乗って山の上まで行き、写真を撮って帰ってきました。

ベトナム

ベトナムではダナンの大学生と交流をしました。田舎町に行ってカニを食べたことをよく覚えています。
そのツアーで仲良くなった女の子とは、日本に帰ってからも連絡を取り合ってて、社会人になってから再会しました。海外でできた初めての友達だったのですが、いまは残念ながら音信不通です。

シンガポール

レストランでビュッフェを食べて、街を散策。マネキンの真似をして遊びました。

スリランカ

スリランカは、インドの隣にある島国です。滞在期間中はツアーを申し込み、寺を観光しました。

ヨルダン

ペトラ遺跡を見ました!写真残っていないのが本当に残念なのですが(ほんとバカでインスタントカメラしか持って行かなかった)、ペトラ遺跡自体も、そこに向かう岩の階段もすごく荘厳で素晴らしかったです。
ペトラ遺跡に向かう途中にはラクダ乗りのおじさんがいて、日本人観光客相手にボッタクリをしていました。

エジプト

ピラミッドを見ました。想像と違ってピラミッドの周囲は高層ビルで、スフィンクスの近くにはケンタッキーがあったのをよく覚えています。

ギリシャ

ギリシャではパルテノン神殿を見ました。美術の教科書に載ってた建物の実物が見れて感激でした。パルテノン神殿に向かう途中の服屋で、店のお兄ちゃんに「君が持ってるポラロイドカメラと、店の服何でもいいから交換しない?」と言われ、カメラと服を物物交換しました。ただでさえデジカメ持って行かなかったのに、この出来事がきっかけで完全にカメラを失います。

ヨーロッパの国々:スペイン、イタリア、フランス、アイルランド

ヨーロッパ大陸に入った頃から、船を一時下船して自分たちで大陸を周り、最後の寄港地で合流する人たちもいました。
スペインではサグラダファミリア、イタリアでは教会を見て回りました。フランスではお買い物。アイルランドは、昼間からお酒を飲んでいる人が多く街で飲んで遊びました。

ノルウェー

ノルウェーのベルゲンは街自体が世界遺産に登録されててすごく綺麗なところでした。トロール人形を買って持って帰ったら「不気味すぎる」「呪われてる」と不評だったのですが、私は可愛く感じて好きでした。

ノルウェーやアイルランドを通過するあたりで、フィヨルドも見ました。クルーズは夏だったんですけど、とにかく寒くて、コートを着て氷河が崩れ落ちる瞬間を見ました。

もっと写真があったらいいのですが、当時撮った写真を紛失してしまって、ほとんど残っていません。
(追記:↑の一文を見て、親切な友達が写真を送ってくれた!!)

アメリカ、カナダ、アラスカ、コスタリカなど

ヨーロッパを回った後はアメリカ大陸・南米に行きました。アメリカの滞在が一番長くてNYに行きました。船で自由の女神の前を通ったのですが、寝坊したため見ていません。

カメラがないことに危機感を覚え、ついにNYでデジカメを購入。店のおじさんに「とっておきのカメラを紹介しよう」と言われ、日本製のデジカメを購入。

カナダでは街を回って水族館で遊び、中華を食べました。アラスカは、英語の生徒のおじちゃんとデートでした。色々買ってもらいました。コスタリカでは、ヘラクレスオオカブトを見る自然ツアーに参加したのですが、ヘラクレスだけ見ることができませんでした。

メキシコ

メキシコに寄港した時は、生まれて初めてツアーを利用せずに自分で街を周り、遺跡まで行きました。
それまではジャパングレイスが提供する「オプショナルツアー」に申し込んで、各寄港地でツアーに参加することが多かったのですが、メキシコで初めて自分で目的地を決め、遠出の旅行をしました。

ただ、どこに行ったらいいかも最初はわからなくて、「私も自力で街をまわってみたい!」と友達に相談したところ「エガちゃんとサルヤさんがテオティワカン遺跡に行くらしいよ。連れて行ってもらったら?」と言われ、初対面のエガちゃんとサルヤさんと一緒に旅行することになりました。

左:私、中央:サルヤさん、右:エガちゃん。2人の本名を知りません。これはピラミッドの上で撮った写真。

2人ともヨーロッパでしこたま騙されたらしく、「おいまり子、うかつに人を信じるな」と、何度も言われました。でも思うんですけど、英語がしゃべれなかったからナメられて悪い輩が寄ってきただけな気がします。2人は私より旅慣れていたので行き先を決めてくれて、私は英語が喋れたので現地の人とのやりとりを仲介してました。

私が騙される瞬間を写真に収めようと盗撮した一枚

目的地は、テオティワカン遺跡というメキシコのピラミッド。出発時にバンジージャンプを飛びました。このバンジージャンプは、下がプールになっているのですが、飛ぶ前にスタッフの人に「下のプールに顔をつけたいか?つけたくないか?」と確認され、紐の長さを調整します。私はプールに突っ込むなんて本当に嫌だったので「絶対にプールに顔はつけたくない」と答えました。それにも関わらず、プールに頭から突っ込みました。

バンジージャンプを飛ぶ瞬間をビデオに撮ってくれてて、「遺跡を見たらビデオを取りに来てくれ」と言われていたので、遺跡観光後に戻ってきたら「ごめん、ビデオ上手く撮れてなかった。もう一回飛んでくれない?」と言われ、合計2回バンジージャンプをしました。

バンジージャンプの下はプール。海が綺麗でした。

一緒に旅行した2人とは、メキシコにいた間しか一緒にいなかったのですが、バンジージャンプも飛んだし、初めての自力旅行だったのでとても印象に残っています。元気かな。

ジャマイカ

ジャマイカでは、ドレッドヘアーにチャレンジしてみました。編み込みしている間はめちゃくちゃ痛くてしかも頭を洗うのも大変だったので二度とやらないと思います。ジャマイカは、海がすごく綺麗でした。

ジャマイカはドラッグをやっている人が多いらしく、注意するように言われていました。ちょっと怖かったです。滞在は1日だったのですが、日中は綺麗な海で遊び回り、夜はレゲエパーティーみたいなのがあって皆で踊りました。船の中には、よさこいを踊るチームがいたのですが、レゲエの音楽に合わせてよさこいっぽい動きをしていたのが印象的でした。

ジャマイカの海

まとめ

こんな感じの旅行でした。ピースボートは、名前からして平和団体、ボランティア団体、という感じがして、変な活動に勧誘されたら嫌だなぁと思っていたのですが、行ってみたら案外普通の旅行でした。旅好きな人が多くて、どこの国がいいとか、どうやって旅すると楽しいか、旅行ハックとかも教えてもらいました。船を降りてからは、ほとんど連絡取り合う機会がないですが、多分この旅行のことはずっと忘れないと思います。


ABOUTこの記事をかいた人

横浜出身、オランダ在住のフリーライター&Webディレクター。ジャンルを問わないSEOライティングが得意です。ディレクションはLP・採用サイト・企業サイト・オウンドメディア、何でもやります。お仕事のご依頼は[marikoアット1design.jp]もしくはTwitterへ。[ID mariko_cabin442] 最近、剣道五段に受かりました。旅行と読書と寝ることと、漫画が好きです。細かいことを気にしない性格です。