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旅行

旅先で出会った日本人に会いに行った話


海外旅行先で日本人に出会っても、帰国後に再会することはほとんどありません。剣道関係で海外で会った人たちとはなぜか再会率が異常に高いのですが、ふつーに旅行して出会った人とはほとんど会いません。

今回、日本に帰国してお茶した人たちも、ほぼ100%剣道関係。そんな状況なので、ふと10年前にインドで出会ったアダチさんに、帰国後会いに行ったことを思い出しました。

2008年3月、大学の卒業旅行で親友と2人でインドに行きました。インドだった理由はお金がなかったから。同級生たちがグアムやサイパンに行く中、私と親友はバックパックで13日ほどインドに滞在しました。私の記憶が定かであれば現金2万円しか持っていきませんでした。

親友はインドへのバックパックは2回目。「2万でいけるっしょ。1泊500円とかでいけるよ」と言ってました。1泊500円て。ニューデリーから出発して、ピンクシティ、ガンジス河があるヴァナラシ、コルカタまで電車で移動して、そこから飛行機で南の方に飛びました。

で、お金が途中で足りなくなって、路上で売ってるやっすいバナナを食べて飢えを凌ぎました。10年経って改めて振り返ってみると、ありえない…。このバナナを買って二人で食べました。左に写っているのは電車の時刻表です。ネットも今みたいに手軽に使えなかったから、時刻表を見て電車に乗ってたんです。時刻通りに電車は来なくて、最大4時間待ちました。待っている間に、当時二人でハマってたコブクロとEXILEを聴いて暇を潰していました。

旅の終盤、南インドのエローラ遺跡とアジャンター遺跡を見に行ったのですが、遺跡の入場料を払ったらもう1ルピーも残らないのでは?と、本格的な危機を迎えました。

遺跡を見た後はムンバイから飛行機に乗り、成田に帰りたかったのですが、そこまでのバス代もご飯代もありません。そんなときに出会ったのがアダチさんです。

彼は、遺跡を見るために前泊した宿に泊まってた日本人で、水も買えなかった私たちに水をくれて、さらに葡萄もくれました。このとき、宿のインド人のおじさんにパイロットのペンを売りつけようとしてたのですが、見かねてお金も貸してくれました。

エローラ遺跡に行くまでの道路はボロボロだし、人がまだ乗ってる途中なのにバスが出発したり、「事故って死ぬんじゃないか」とゾッとするような経験もしましたが、遺跡は本当に美しく、感動しました。

「この経験ができたのも全てアダチさんのおかげ」と、帰国後一年くらいしてアダチさんが住む鳥取に恩返しの旅に出かけました。そしてスーパーの棚の端から端まで水を買ってプレゼントするという、今思えばくそみたいなお礼をしました。鳥取砂丘を案内してもらった上に家に泊めてもらって、お礼をしに行ったのに逆にさらにお世話になるという。

アダチさん、本当神がかっていい人でした。先生になるって言ってた気がします。アダチさんに教えてもらえる学生たちはきっと幸福で優しい人間になると思います。

この後もインドへのバックパックには2回くらい行ってるのですが、もう10年もご無沙汰です。きっともう発展しちゃって10年前の熱気はないんだろうな。「タージマハル?見なくていいよ」と親友に言われ、タージマハルだけまだ見ていません。また、旅先で知り合った人々に「カトマンドゥは絶対行ったほうがいい」と言われていたのですがまだ行けてません。

コロナがもう少し落ち着いたら、またインドに旅して、訪れてない街や遺跡を見てみたいです。


まり子 佐藤

横浜出身、オランダ在住のフリーライター&Webディレクター。ジャンルを問わないSEOライティングが得意です。ディレクションはLP・採用サイト・企業サイト・オウンドメディア、何でもやります。お仕事のご依頼は[marikoアット1design.jp]もしくはTwitterへ。[ID mariko_cabin442] 最近、剣道五段に受かりました。旅行と読書と寝ることと、漫画が好きです。細かいことを気にしない性格です。

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1 COMMENT

  • 岩本宏紀

    日本に住んでいる日本人には想像できないインド旅行をなさつたのですね。藤原新也の「全東洋街道」と遠藤周作の「深い河」を思い出しました。
    ばくは出張で何度か行きましたが大きな街ばかりでしたので、ひもじい思いをすることはありませんでした。インド英語が聴き取れなくて苦労しましたが。
    アムステルダム在住 岩本宏紀

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