ある日の知人・友人との会話から、「好きなこと」と「できること」、いったいどっちを選んだ方が幸せなのだろうと、ふと考えてしまいました。
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小さい頃、一番得意で時間を忘れて取り組めるのが図工や美術でした。
勉強は小学校3年生まで中の下。興味もほとんどなかったと思います。
しかし小学校4年生になった時、学習塾に通うことが決定し週に2回の塾通いが始まりました。
真っ暗な雑居ビルの最上階にあったその塾は、雰囲気も怖いし、職員室では先生がタバコをスパスパ吸ってるし、教室に竹刀が置いてありました。たまに子供は叩かれ、少しでもふざけると先生が「馬鹿野郎!」と怒鳴りました。控えめに言って怖かったです。しかも、受験塾だったので扱う内容も難しく、最初の一年は20点や15点など、全く点数が取れませんでした。
5年生になると少し勉強の仕方がわかってきて、成績も上がりました。日曜日は塾の先生の指令で、別の塾に定期テストを受けに行きました。成績上位者は冊子に順位が掲載されたことをよく覚えています。6年生になるとさらにもう1つ塾が増え、週4日の塾通い、学校から帰ったらすぐに机に向かう生活が始まりました。家族で外食をしても、食事が来るまで問題集を解くような生活でした。
その頃には、勉強が点数を取るゲームのような感覚になっていました。でもテレビゲームと違って、いい点を取ると大人にも友達にも褒められます。
受験は私にとって大きな転機でした。
4年生までは、ぼんやり生きていましたが、成績が上がってから学級委員をやるようにもなったし、自信がついたのだと思います。
その結果、意見をはっきり言うようになりました。考えを言葉にすることで、知らず知らずのうちに思考を練るようになり、モノも考えるようになったと思います。私にとって「できること」を選んだのは、結果的に良いことでした。
でも、塾という強制力が働く場所に身を置き、さらに自力でできないことを補佐してくれるプロがそばにいたから勉強を好きになったように錯覚しただけで、私の中から何か「学びたい」という欲が出て勉強を始めたわけではありません。決して元から「好きなもの」ではありませんでした。
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一方で、好きだった絵や工作に対しては、「得意だ」という自負はあったし、振り返ると賞をもらったこともあります。でも、「自信」までにはつながりませんでした。
理由を考えたときに一つ思い浮かんだのは、良い先生に出会えたことです。塾の先生は怖かったですが、塾に行けなくなるほどの恐怖ではなく、「勉強しよう」と良い強制力が働きました。難しいレベルに取り組ませてくれたことも大きかったように思います。
同い年の子たちも真面目で勉強熱心だったので、環境も良かったと思います。自分より成績の良い子もたくさんいたので、その子たちと競争できたことも大きかった。
絵の教室にも小学校低学年から通っていましたが、強制力もプレッシャーも、絵の描き方も教わることはなく、真剣度は塾の方がずっと高かったように感じます。
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そう考えると、好きなことをするか?できることをするか?以前に、良い先生、良い環境を探すことの方が大事かなぁと思います。
美術関係でいい師に出会えていたら、私の人生は全く違うものになっていたかもしれません。
あらゆる分野で、「天才」と呼ばれるような人は、きっと周りが放っておかないから声がかかるのだと思います。「ちょっと得意」程度の凡人の場合は、環境も師も探さなくてはいけない…。
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好きなことがあるのは素晴らしいことだと思います。剣道を教えている身としては、剣道のことも好きになってほしいし、そうなるように大人は努力するべきだけど、好きな分野で良い先生・環境に出会うことが、きっと大切なような気がします。
そんなに勉強に興味がなかった私に、「面白い」と思わせてくれた大人がいたように、「剣道もやっててよかったな」といつか感じてもらうこと。剣道で学んだことを他の分野でも活かしてもらえるように、できるだけ質の高いことを教えることが、私たち大人の立場としては大切なのかなぁなんて思います。
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アイキャッチ画像はUnsplashのrussn_fckrが撮影した写真を使用しています。Thanks!