『きらきらひかる』江國香織(新潮社)
中学2年生の頃に2つ上の先輩に勧められて読んだ一冊。
同性愛者の夫・睦月と、アル中の妻・笑子。そして彼らをとりまく友人・家族たちを描いた恋愛小説です。
あらすじ
10日前に結婚したという、2人の新婚生活から物語は始まります。寝る前にベッドにアイロンをかける笑子、睦月が飲むエビアン、作中でかかる音楽、食事…日常のちょっとしたシーンの描写が、どれもおだやかでセンスが良くて、2人とも心地よく暮らしているなぁって。
笑子は睦月が同性愛者であること・恋人(紺くん)がいることを了承しているし、睦月は笑子が精神不安定であることを知った上で結婚し、支えています。わーっと燃え上がるような恋愛ではないけど、2人はお互いをとても気に入っているし、日々のちょっとした行動から、相手を大事に思ってることや、大切に扱っていることがよく伝わってきます。
お互いを理解して、支えて、こういう人たちこそ、長く家族でいられるのでは?なんて思ってしまいます。物語の中で、紺くんが「俺は男が好きなんじゃなくて睦月が好きなんだ」と言って、それに笑子が同意するのですが、彼らの愛は性別を超えていて、本当に素敵だなと思います。
でも、お互いの親に「子ども」を求められたことがきっかけで、少しずつ笑子の悩みが深まっていきます。
大人になって感じること
この本を初めて読んだのは中学2年生の秋で、内容がよくわからない、というのが正直なところでした。ただなんとなく、うつくしい小説だなぁと思っていました。
折に触れて何度も何度も読み返してきたのですが、39歳になると、14歳の時には感じなかったいろんなことを感じ、考えてしまう一冊です。
例えば、睦月の鈍感さと善良さ。物語の序盤から、笑子は睦月が大好きなんだなぁと伝わってきます。もちろん睦月も笑子のことが好きなんだろうけど、私自身が39歳になって、睦月よりもだいぶ年上になったいま思うのは、睦月がとても善良で誠実である一方、たまにびっくりするくらい鈍感で無神経だということです。
笑子の気持ちが不安定になるにつれ、睦月はすごく笑子を心配します。その描写がとても鮮明で、睦月っていいやつだなぁ、やさしいなぁと読んでて思うのですが、笑子のことを考えて心配している場所が紺くんの部屋という。物語のなかで、笑子が怒って睦月に「とんま」というんだけど、確かにとんまだと、ところどころ思います(男友達が彼女に同じことしてたら、私怒るかも)。でも、睦月は本当に悪気なくて、善良な男なんですよね。
プレゼントのセンスも良くて、安物のシャンパンに泡を立てるシャンパンマドラー、テディベア、地球儀。夜勤の日はたくさんのドーナツを買ってきて、朝、笑子と一緒に食べます。こりゃあ、笑子も睦月が大好きになっちゃうよ、と思います。
ちなみに、俵万智さんが『きらきらひかる』のレビューを書いているのですが、シャンパンマドラーに関する感想がとても素敵で、おもしろいです。
https://allreviews.jp/review/947
好きな言葉とシーン
好きな言葉や好きなシーンもたくさんあります。例えばこの言葉。
睦月のことは大好きだし、だから結婚したわけだけれど、四六時中一緒にいたいなんて思うほど、私は愛情というものを信用していない。
笑子が独立した女性だから言ったわけじゃなくて、彼女は本気でこれを思ってるんですよね。それがなんかいいなぁって。笑子は嘘もたくさんつくし、感情的になることも多いんだけど、「純」っていう言葉がぴったりだなぁと思います。
睦月と紺、睦月の同僚の柿井と、その恋人の樫部が全員で食事をするシーンも良いです。笑子以外全員同性愛者で、しかも笑子が「好きだから」という理由で、野菜が丸ごとカゴに入って出てきて、各々が野菜を食べる(シュールすぎる😂)。江國香織は、美しい文体も素敵だけど、こういうシュールな場面がけっこうあって個人的にすごく好き。
物語のなかで、お酒に興味のなかった睦月が笑子の影響で、今まで口にすることのなかったお酒の銘柄を口にしているところや、「僕の妻は本当に悔しそうに泣く」と、笑子をはっきりと「妻」と認識しているところを見ると、この2人は夫婦で、ずっと一緒にいるんだろうなぁと思います。恋人の紺くんと睦月の間に、歴史があることを笑子は少し気にしているんだけど、2人の時間もこれから折り重なっていくよ、大丈夫、なんて思っちゃいます。
こうやって誰かに影響を受けたり、逆に影響を与えて、人に変化が生まれることっていいなぁって思います。恋人でも家族でも、友達でも。変化をしたことが、自分という人間の中に組み込まれるというか。
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30年前に書かれた本なので、今よりも同性愛者や多様なパートナー関係に対する理解は少ない社会だったでしょう。物語のなかで、笑子が「今のままでこんなに自然でふつうなのに」というシーンがあるのですが、その部分を読んで、笑子がこういう性格だから、睦月は結婚したんじゃないかな、なんて思いました。世間一般で見たらぜんぜん「ふつう」じゃないけど、笑子は本気で「ふつう」「自然」と思っています。それは、睦月や笑子が自分に正直に素直に生きているから「自然」なのであって、そこに社会の尺度は関係ないんですよね。
彼らの関係をこんなに美しく、穏やかに描けるなんてすごいです。物語のなかで笑子が激しく泣いたり、怒るんだけど、どうしようもない悲壮感はなくて、彼らはきっと大丈夫なんじゃないかななんて、安心して読んでいられます。きっとそれは、彼らの中に消えない愛があるからだと思います。
なぜか、この本を読み返す時は、誰か人が関わっています。学生時代に憧れた先輩に勧められて読み始め、読み返す時は人に勧める時です。自分が好きな本は、思い出とセットになっていることが多いかも。次にこの本を、私は誰に勧めるのかなぁ。