就職活動において「成長できる環境に身を置きたい」といった言葉を聞くことがあります。わたしはあまりこの言葉に共感できなくて「別に成長できる環境じゃなくてもいいや」と思って生きてきました。成長とかしなくていいしな、と。成長セミナーみたいなのを見ると、うさんくせえなと毒づいてしまうことすらあります。
そもそも、成長とはなんなのでしょう。子どもが育っていく様子を見ると「ああ、成長しているな」と、わかりやすいですが、大人になってからの成長とはどんなことなのでしょう。
自分は成長しているのか
自分のことを振り返ってみようと思います。自分が成長したなと感じることはなんなのか。
わたしは、大学生の頃から「いつか自分で事業を持ちたい」と考えていて、ビジネスプランコンテストに応募したり、自分で事業計画を作ってたりしたのですが、まあ、これが全然うまくいかないんです。アイデアが出てこない。質の高い経験や地頭の良さもないから、当然なんですけどね。
でも、社会人生活も15年をすぎて、色々経験するとアイデアが出るようになります。それが儲かるかとか、社会的に評価されるかは別として、わたしは嬉しいし、なんだか自分を褒めてあげたい気持ちになります。
あとは、文章。オランダ移住がきっかけで文章の仕事をするようになりました。本格的に始めたのは2017年ですね。最初はコラムやSEO記事を中心に書いていましたが、最近はインタビュー記事が中心です。正直、自分がこんなに文章の仕事に関わるとは思いませんでした。うまくいかないことも多くて、わたしなんかが書いててすいません、という気持ちを持ちつつも、文章って奥が深いんだなとその面白さに少しだけ触れられている気がします。
こう考えると、起業やオランダ移住など、何か自分にとって大きな目的や渇望するものがあって、それを求めた結果、成長してた。いや、成長しなければ欲しいものを手に入れることができなかった。逼迫したことの結果が、わたしにとっての成長でした。
どうしても欲しいこと
渇望レベルでわたしが求めていたのは、自立やスキル、ゼロから仕事やお金を生み出す力でした。
お嫁さんになりたいとか、ドレスを着たいとか、養ってほしいとか、そういう欲はまったくなくて、「未知のことを知りたい」「色々なところに行きたい」「自由に生きたい」、そんな欲求がありました。たぶん、この欲求にしたがって生きないと、わたしは生きている意味がないんだと思います。
でも、社会に出たばかり頃は、自分の時間を切り売りするくらいのことしかできません。自分はどの分野で価値を生み出して、お金にしたいのだろう。そのために必要な技術や経験、知識はなんだろう。そんなことをずっと考え、試行錯誤してきた15年だったように思います。
向上心がないように感じてしまうかもしれませんが、今でも「まあ別に成長とかしなくていいしな」と思っています。でも、やっぱり欲しいものはありますよね。いい仕事をしてお客さんに喜んでもらって、いい関係でいたいし、新しいことを知りたいし、今よりもっと面白い仕事をしたい。経験を積めば、いやでも新しいアイデアが出てくるようになります。人のつながりも増えていきます。そうすると「もっとこうならなきゃ」と、自分が求める姿みたいなものがぼんやりと出てきます。そこに向かって、地道に、真摯に、真心を込めて取り組んだ結果が、きっと成長なのでしょう。