最近、自分が仕事をするモチベーションて何なんだろうと考える機会がありました。デザインとか、料理とか、そういう仕事の「対象」自体が好きな人(職人気質の人)は、おそらくモチベーションみたいなものはいらないんですよね。時間を忘れて没頭することができる。
私はそんなふうになれなかったので、憧れを感じる一方で、自分には仕事自体に対する純粋さみたいなものが欠落しているんだなと、打ちひしがれてしまいました。
「何が価値になるか」とか「何がお金になるか」でバランスを見ながら仕事をすることって、けっきょく他者目線が強いんですよね。
人生の終わりに「何を遺したか」とか、そんなことを考えた時に、私みたいな生き方をしていると空虚さを感じるんじゃないか…みたいに思ってしまいました。
なにが自分をドライブするのか
まあそんなことがきっかけで、いまいちど、何が自分をドライブしてきたのかを考えてきました。ドライブっていうのはdrive(動かすこと)ですね。
自分自身の直接の経験から生まれる感情(喜び、怒り、悲しみ)こそが、情熱をドライブするのだ。そして、その情熱こそが、何かすごい事をやる上での馬力を生み出す根源だ。逆に言えば、経験を伴わない、「思考」や「他人からの情報」によって情熱は生まれない事が多い。あくまで自分の経験を通じて、ハートがズキューン!と動くことが大事なのだ。
経験が情熱を生む
これは私が25・26くらいの頃に、指針にしてた先輩の文章なんですが、これを読んで、才能とかやりたいことを持たない人間は、「できること」を増やして、そこで生まれた縁や経験を繋いで仕事にしていくしかないと考えていました。
また、やりたいことは明確になかったのですが、欲求はハッキリしていました。「自立したい」「海外で働きたい」そんな欲求です。
これらの欲求が生まれたのは大学3年生くらいの頃です。それまでは、ぼんやり大きい会社に就職するのかな、くらいにしか考えていませんでした。実際、大学1年生の頃からOB訪問とかしてた気がします。
変化のきっかけは、経営者や起業家との出会いでした。すごく素敵な人たちで、強烈な憧れを抱いたことをよく覚えています。ある人は「これからは転職が当たり前の時代になる。大企業も潰れる可能性も高い。だから、会社に依存するような人間になってはダメだ」と言ってました。ある人は、海外で起業して、でも偉ぶるわけでもなく「自分が好きだからやってきた。楽しいから、今ここにいる」と言ってました。それを見て、自分もそんな人間になりたいと強く思いました。たぶん、私をここまでドライブしてきたのは、彼らへの憧れです。
彼らみたいな生き方をするために、まずどこの会社に行ってもお金を生み出せる人間を目指そうと思いました。当時はまだ転職は一般的じゃなかったけど、ステップアップの転職を必ずしなくては、と思ってました。
でも、22歳から29歳くらいまではとにかくいつも心のどこかに不安があったような気がします。自分が抱えてた不安について、言っても誰にとっても、なんのプラスにもならないので、これまで人に言うことはなかったのですが、「弱いところも見せてくれ」とこの間言われたので、書いちゃいます。
不安と独りの時間について
「これで合ってるかわからない」と、不安をいつも抱えていました。誰も自分みたいな道を選んだ人が周りにいなくて、違いすぎて、とにかく不安でした。
不安がってても仕方ないので、
「できることを増やす(英語勉強、仕事の勉強)」
「同じことをしても高いお金を払ってくれるところを探す」
「計画を立てて予実管理をする」
そんな地味な作業をずっと続けてきた気がします。
仕事が終わってから、一人でカフェが閉まる時間まで勉強したり、会社で作業したり勉強して、誰もいなくなったオフィス街を歩いて帰る時間は、本当にたった独りでした。
私には、20代の頃に仲間たちと一緒にバーベキューするとか、遊びに行くとか、そういう思い出がほぼありません。不安を抱えながら独りで過ごす時間の方が圧倒的に多かった気がします。
なりたくて独りだったわけじゃないんですけどね。まあ、その輪の中にいても退屈で、話も合わなくて。それを隠して周りに合わせるほど大人じゃなかったので、「変わってる」とよく言われました。だから、私にとって「変わってる」は個性じゃなくて、「あんたは人と違うんだ」と、断絶を意味することが多かったです。
最近はなぜか「まりこさん友達多いね」と言われることが増えたのですが、ほんとに友達いないんですよね私。だって、仕事終わってから飲み会とか遊びとかしないで勉強してる女きもくないですか?友達は1人か2人いましたが、私に合わせてくれる本当に優しい人たちでした。
全部達成した後の虚無感
まあ、そんなこんなで頑張って最終的には独立して海外移住を果たすわけなのですが、ビザを取った後にどんな未来が待ってたと思いますか?全部達成した後の虚無感です。次の目標がない。
オランダでの日々は本当に楽しかったんですけどね。その一方で、20歳くらいで感じた強烈な憧れとか、欲しくてたまらない渇望みたいなものがなくなりました。次の目標どうしよ…と考えても、なんか小手先の、想像できる程度のものしか出てこないんです。私は、できるか・できないかわからない、賭けみたいなものが欲しいんですよね。
そんな時に「モチベーションとかいらないです〜」みたいな職人気質の人に出会うと、「私が15年かけて情熱だと思ってきたものは結局、この程度のものなんだ。目標を達成したら消失する程度のものだったんだ」と久しぶりに絶望的な気持ちになりました。
しかも大変残念なお知らせなんですけど、私が「夢の先が思いつかん」と気付いたのが2018年初頭くらいで、今が2023年初頭じゃないですか。5年間なんも見つかってません!!!!ほんと死にたくなりますよね、ははは。
大人になること
しかも、自分がオランダに行ってから始めた仕事もほぼ全て自分の内側から湧き上がってきた情熱がベースになっているのではなく「誰かの夢への共感と応援」が多くて、なんて他力本願だったんだと。誰かの夢に乗っかってただけ。
でも、5年間考えて続けて、最近少しだけ結論みたいなものができてきました(まだ途中だけどね)。やっぱり私には、己の内側から湧き上がってくる情熱みたいなものは、ないんですよね。持てないものは、仕方ない。
でも、一度続けたものを放り出すことはしたくない責任感と負けん気があります。たとえ他人の夢に乗っかった結果だとしても、自分の仕事にありがとうって言ってくれた人がいるとしたら、その人たちに応える責任です。もしかしたら、時間を忘れるほど没頭できる職人にはとても敵わないかもしれないし、仕事の質も劣るし、遅いかもしれないけど、応えたい。あと、やるって言ったことを放り出すのは、自分に負けることです。他人との勝負に勝てなくてもいいけど、自分に負けるのはダメ。
誰かに押し付けられるのではなく、自分の内側から生まれた「責任感」。これって少しだけ大人になったってことなのかなって。若い頃みたいな無鉄砲さは失ってしまったかもしれないけど。
あとは、自分がしてきた仕事も、なんだかんだ「好き」で選んできたものです。webマーケティングも、文章も、インターネット関連のことも、好きだからこの道に来ました。ゆっくりでもいいからちゃんと仕事そのものに向き合って、愛して、もっといい仕事ができるよう努めていきたいと考えるようになりました。
最後は、場づくりについて。私は、いまは経営者寄りの起業家になりたいなって思ってます。社会人人生のなかで、人が悩み、心をすり減らすのは人間関係に起因することが多く、みんなほんと優しくないな…と感じることが多かったです。
自分が苦労したり、嫌な思いをした経験があったとして、他の人はそうならないようにしたいし、困ってる人がいたら声をかけてあがられる人間でありたいです。また、日本人は真面目なので、自分のプライベートの時間をすり減らしても仕事をしてしまったり。人を雇うというのは難しいことだけど、人が集まって、やりがいを持って仕事をして、居場所の一つみたいに感じてもらえる場所や会社を作っていきたいです。
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こんな感じのことを最近考えています。10年前は自分がこんなことを考えるようになるなんて思いませんでした。大人になったなと感じます。時間を忘れて没頭するようなことはないけど、いまの私は責任感や積み重ねてきたものに背中を押されるような形で、自分をドライブしていく人間なんだと思います。